法隆寺聖霊院
ほうりゅうじしょうりょういん
1棟 附指定 棟札1枚
鎌倉後期
1284年(弘安7)
桁行六間、梁間五間、一重、切妻造、妻入、本瓦葺、正面一間通り庇付、向拝一間、檜皮葺
重文指定 1901年0月27日(明治34年3月27日)
国宝指定 1952年11月22日(昭和27年11月22日)
聖霊院は、保安2年(1121)に東室の南端六間分を仏堂に改造して聖徳太子像をまつったの創めとするが、弘安7年(1284)に独立の仏堂として全面的に建て替えられた(『別当記』)。これが現在の聖霊院である。
切妻造、妻入の正面に広庇を設けた構成は保安創立時とかわらないが、梁間が四間から五間に拡張され、組物は正面平三斗、側面出三斗、軒を二軒繁垂木として仏堂らしく扱っている。庇は大面取の角柱を立て、角肘木で桁をうけ、一軒疎垂木をくばり、屋根は檜皮葺とする。正側面三方に高欄付の縁をめぐらし、蔀戸や格子戸を用いるが、これらの建具に鎌倉時代のものがありめずらしい。
内部は前二間を外陣(礼堂)、後方を内陣、脇陣、後陣に区画し、全面を拭板敷とする。内陣と外陣・脇陣との境は格子戸で仕切り、天井は外陣・脇陣を小組格天井、内陣を折上格天井とする。内陣には背面一杯に間口三間の厨子をつくりつける。厨子は建築的技法でつくられ、蟇股と唐破風は繊細で優美な曲線をもつ秀作として知られる。唐破風上の木造獅子口も最古の遺例である。
聖霊院は聖徳太子をまつる仏堂として建てられたが、その平面形式や外観は、寝殿造の対屋を彷彿させるものがあり、当時の住宅を知るうえでも貴重な建築である。
(注) 内部の3つの厨子の中央には法隆寺のご本尊でもある聖徳太子45歳の像、左には山背大兄王や殖栗王の像、右には太子の兄弟皇子・卒末呂王や高句麗僧・恵慈法師の像(いずれも国宝)が祀られ、秘仏として毎年3月22日〜24日のお会式(御命日法要)の時にご開帳さる。
聖霊院で行われる行事
1月1日(午前9時) 朝拝之儀
1月7日(午後6時) 修正会通夜作法
1月22日(午前10時半) 県下初穂奉納法要・百済観音堂
2月21日(午前10時) 聖徳太子御忌 /慧慈忌
3月7日(午前10時) 推古天皇御忌
3月21日(午後6時) 会式逮夜法要
3月22日〜24日(22日午後1時) お会式(聖霊会)
4月9日(午前10時) 用明天皇御忌
7月26日〜29日(午前6時) 夏季大学晨朝勤行
11月3日(午前10時) 崇峻天皇・山背大兄王御忌、藤ノ木古墳参拝
12月21日(午前10時) 間人皇后御忌
12月22日(午前10時半) 初穂奉納法要
引用文献 『文化庁国指定文化財等データベース』 『法隆寺のHP』
|