法隆寺の東室

法隆寺東室(国宝) 解説

法隆寺東室 ほうりゅうじひがしむろ 1棟
奈良時代
桁行十二間、梁間四間、一重、切妻造、本瓦葺
国宝
重文指定年月日 1942.06.26(昭和17.06.26)
国宝指定年月日 1965.05.29(昭和40.05.29)

 東室は西院廻廊の東に建つ僧坊で、『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』にみえる四棟の僧坊の第一に記されるものにあたる。十二世紀始めに破損し、法安二年(一一二一)の大修理で南端三房分を聖徳太子像をまつる堂とし、弘安七年(一二八四)にこの部分を現在の聖霊院に改めて、現東室は北の六房分が残る。
 保安の修理は柱を切りちぢめ、土間または転根太程度の床を板敷に改め、永和三年(一三七七)に床組や天井、小屋組を改修し、側柱上に舟肘木を挿入した。また、このころから二間一房の制度はくずれて、間仕切りを変更し、一部の部屋は経蔵にあてられた。現状はほぼ永和三年改造時の姿に整備されているが、北寄り第二、第三房だけは、方二間の母屋を主室として、前・後室を設けた創建時の僧坊の形式に復された。
 構造は側柱、入側柱とも桁を直接のせ、庇に繋虹梁をかけ、母屋は房境は陸梁に扠首組、中間は大虹梁に棟束を立て、棟木をうける。丸垂木で、きわめて簡素な形式をもつ。大虹梁は全体に円弧形で、その上端に沿って弓窿状に起るめずらしい形式の天井が張られている。
 東室は伽藍中枢部にひきつづいての建立と考えられるが、礎石や柱にはさらに古い転用材が用いられ、こちらは法隆寺創建時代にまでさかのぼる可能性がある。また、当初の構造形式もよく解明されていて、きわめて高い価値をもつ。

引用文献   『文化庁国指定文化財等データベース』

 
法隆寺諸堂の写真と解説 《法隆寺境内図
上宮王院夢殿 絵殿と舎利殿(上宮王院) 礼殿 (上宮王院) 東院鐘楼
東大門(中の門) 聖霊院(納経所) 鐘楼 網封蔵(こうふうぞう)
南大門 中門 百済観音堂 東室
五重塔 大講堂 金堂 廻廊
三経院と西室 西室と西室の門 西円堂 大垣
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