法隆寺南大門

 

 

 

法隆寺南大門 ほうりゅうじなんだいもん

国宝 1棟 附指定 旧棟木1本 棟札1枚
室町中期 1438年(永享10年)
三間一戸八脚門、入母屋造、本瓦葺
重文指定 1901.03.27(明治34.03.27)
国宝指定 1953.03.31(昭和28.03.31)

法隆寺南大門
 南大門は創建時には中門の南に近接して建てられていたが、子院の増加にともなう境内の拡張で、長元(一〇二八−一〇三七)ころに現在地に位置を移して造立されたと考えられる。その後、永享七年(一四三五)に焼失、同十年(一四三八)に再建されたのが現在の建物で(棟木銘)、慶長十一年(一六〇六)、元禄十年(一六九七)、大正三年の修理を経て、現在に至っている。門の前後で地形に段差があるため、全面のみ壇上積基壇とし、内側は雨落溝をめぐらす。
 三間一戸の八脚門で自然石の礎石上に丸柱を立て、中央柱筋の中の間を扉口、両脇を土壁とする。柱頭をつなぐ頭貫には木鼻をつけ、組物は実肘木、拳鼻をもつ出組とし、隅方向にのみ尾垂木を用い、中備は花肘木とする。軒は二軒繁垂木で、中央から左右に強い軒反りがつく。屋根は入母屋造で、妻飾は虹梁大瓶束である。
 基壇上面は瓦四半敷、内部は全体に組入天井を張る。法隆寺では二王像は創建当初から南大門にはなく、中門にまつられていた。
 この門は平面寸法が『資財帳』の仏門の一つとほぼ一致し、当初の規模を踏襲すると思われるが、同じ八脚門形式の東大門と比べると、屋根は入母屋造とし、全体に天井を張り、組物もにぎやかな出組で、中備に花肘木を用いるなど、はなやかさを加えた中世的特色をよく示す建築で、装飾的細部が効果的に用いられ、室町時代の遺構のなかでは特に秀作の一つにあげられる。なお瓦に永享八‐十年の刻銘をもつものが多数ある。

引用文献   『文化庁国指定文化財等データベース』

 
法隆寺諸堂の写真と解説 《法隆寺境内図
上宮王院夢殿 絵殿と舎利殿(上宮王院) 礼殿 (上宮王院) 東院鐘楼
東大門(中の門) 聖霊院(納経所) 鐘楼 網封蔵(こうふうぞう)
南大門 中門 百済観音堂 東室
五重塔 大講堂 金堂 廻廊
三経院と西室 西室と西室の門 西円堂 大垣
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