法隆寺 網封蔵(こうふうぞう)

網封蔵(こうふうぞう)---国宝<奈良時代>

法隆寺綱封蔵 ほうりゅうじこうふうぞう 国宝 1棟
平安前期
桁行九間、梁間三間、一重、高床、寄棟造、本瓦葺
重文指定 1942.12.22(昭和17.12.22)
国宝指定 1967.06.15(昭和42.06.15)

法隆寺綱封蔵
 綱封蔵は、食堂・細殿の西南方、妻室の東に隣接して建つ南北棟の高床の倉である。綱封蔵とは寺院を統率する僧綱所が管理する倉で、天平十九年(七四七)の『資財帳』に記す双倉二口ほか七棟の倉は、大半がこの近くにあったの想定されている。この倉は当初は綱封蔵ではなかったが、十二世紀の始めにそれまでの綱封蔵が破損顛倒したために、その宝物を双倉に移したことが『別当記』で知られ、この時から綱封蔵になったものと考えられる。部材の材質や手法から、建立年代は平安時代中ごろと推定される。
 平面は桁行九間、梁間三間を方三間ずつ三区に分け、南北両区を倉にして中央部は吹抜けとする。高床造で葛石をめぐらした低い土壇上に建つ。自然石の礎石上に太い丸柱を立て、梁行に頭貫、台輪をかけ、桁行には側面のみに台輪をわたす。台輪上に角柱を立て、壁面部分の内部下方は横板落としこみとし、頭貫で軸部を固め、土壁塗とする。柱上に台斗、通肘木を組み、通肘木上に大梁をかけ、大梁先端をのばして舟肘木、出桁をうける。軒は二軒角垂木、内部は大梁上に二重梁を組み、束で棟木をうけ、化粧屋根裏とする。当初材には杉材を多量に用い、大斗は松、床板と垂木は檜である。
 双倉として現存する例は東大寺正倉院宝庫とこの綱封蔵の二棟だけで、正倉院宝庫は中央部も囲って三倉とするが、綱封蔵のように中央を吹抜けとして、吹抜け部分に向かって扉を開く形式こそ本来の双倉の姿であり、その唯一の資料である。

引用文献   『文化庁国指定文化財等データベース』

 
法隆寺諸堂の写真と解説 《法隆寺境内図
上宮王院夢殿 絵殿と舎利殿(上宮王院) 礼殿 (上宮王院) 東院鐘楼
東大門(中の門) 聖霊院(納経所) 鐘楼 網封蔵(こうふうぞう)
南大門 中門 百済観音堂 東室
五重塔 大講堂 金堂 廻廊
三経院と西室 西室と西室の門 西円堂 大垣
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