法隆寺の鐘楼

 

 

鐘楼(白鳳時代の梵鐘、国宝) 『鐘がなるなり法隆寺』の鐘は別の鐘。

法隆寺鐘楼 ほうりゅうじしょうろう
国宝 1棟
平安中期 1005年〜1020年(寛弘2〜寛仁4)
桁行三間、梁間二間、楼造、切妻造、本瓦葺
重要文化財 指定1899.04.05(明治32.04.05)
国宝 指定1951.06.09(昭和26.06.09)

法隆寺鐘楼
 大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つ。奈良時代創建の鐘楼は延長三年(九二五)に講堂とともに焼失し、現建物は十世紀おわりごろに再建された。再建にあたっては旧規模を踏襲し、それまで回廊外にあって独立していたが、北回廊が大講堂まで延長したので、鐘楼・経蔵ともに回廊の中間に建つことになった。その後数回の小修理を経て、慶長の大修理では軒、破風、高欄に変更をうけている。
 回廊と一連の基壇上に建ち、自然石の礎石上の丸柱は、平安時代としてはめずらしく柱上部で細くなる銅張りをもつ。正面中央間には低く内法長押を打ち扉口を開き、他の柱間は白壁で閉じる。白壁中央の腰貫は中世以後の補強である。腰組は出三斗組で、通肘木上に上層の柱盤をおく。
 上層の柱位置は経蔵では下層よりやや内側にあるが、鐘楼は下層柱の直上に建て、柱にはわずかに胴張りがある。組物は平三斗で断面小判形の桁をうけ、軒は二軒で先端の反りの強い角垂木を用いる。架構は二重虹梁蟇股で経蔵と同形式であるが、虹梁先端に増しがつき、蟇股の形や虹梁の曲線は平安時代の特徴をよく示す。
 上層の桁行中の間は吹放しで、上層には床も張られていないが、重い梵鐘を支えるために土台、支柱を入れて大虹梁上の中梁を支えるなど、補強が加えられている。
 鐘楼は平安時代の楼造の唯一の遺構であり、経蔵と同形式ながらも、やや軽快さに欠けて時代を示している。

引用文献 『文化庁国指定文化財等データベース』

 
法隆寺諸堂の写真と解説 《法隆寺境内図
上宮王院夢殿 絵殿と舎利殿(上宮王院) 礼殿 (上宮王院) 東院鐘楼
東大門(中の門) 聖霊院(納経所) 鐘楼 網封蔵(こうふうぞう)
南大門 中門 百済観音堂 東室
五重塔 大講堂 金堂 廻廊
三経院と西室 西室と西室の門 西円堂 大垣
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