法隆寺大講堂 |
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法隆寺大講堂 ほうりゅうじだいこうどう (国宝) 平安中期 990年(正暦元年) 桁行九間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦葺 重要文化財指定 1899.04.05(明治32.04.05) 国宝指定 1951.06.09(昭和26.06.09) 金堂、塔の中央後方に離れて建つ大建築で、金堂よりもはるかに大きい。現在両脇に回廊が取りついているが、もとは北回廊は金堂・塔を囲んで南方で閉じられ、創建堂の両脇には東西棟の北僧房が建てられていた。 旧堂が延長三年(九二五)に焼失、現在の建物は正暦元年(九九〇)に再建された(『別当記』)。再建後たびたびの修理改造をうけていて、中世に西側に庇が設けられ、元禄の修理にこの部分を取りこみ、西側柱を移動させてそのあとを補い、九間堂に改めた。したがって創建堂も現堂の再建時も、桁行は八間であった。昭和の大修理で軒・小屋組・造作などは再建当時の形式に復原されたが、桁行は九間のままになっており、本来は柱列が重複する西方一間分だけ短い。 壇上積基壇上に立ち、組物は側・入側とも平三斗、中備間斗束、繋虹梁を入れ、母屋は断面馬蹄形の桁の上に大虹梁を架け、周囲は化粧屋根裏、母屋は大虹梁の下に組入天井を張り、三間の来迎壁と仏壇を設ける。軒は二軒で、垂木上に木舞をあみ、垂木の間は土壁で仕上げ、化粧垂木の上に別に野小屋を設けて、奈良時代の技法より国風化している。 創建堂は全体の規模位置は同じであるが、庇の柱間は現堂のほうが大きい。『資材帳』には大講堂はみられず、かえって食堂の規模がこれと一致し、創建堂の礎石が古材転用であることなどとともに、創立沿革に複雑な事情があったことを思わせる。 ご本尊 薬師三尊像、四天王像。 行事 引用文献 『文化庁国指定文化財等データベース』・行事は『法隆寺のHP』 |
法隆寺諸堂の写真と解説 《法隆寺境内図》 | |||
上宮王院夢殿 | 絵殿と舎利殿(上宮王院) | 礼殿 (上宮王院) | 東院鐘楼 |
東大門(中の門) | 聖霊院(納経所) | 鐘楼 | 網封蔵(こうふうぞう) |
南大門 | 中門 | 百済観音堂 | 東室 |
五重塔 | 大講堂 | 金堂 | 廻廊 |
三経院と西室 | 西室と西室の門 | 西円堂 | 大垣 |
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