宇治神社の謂れ

 応仁天皇の末の皇子「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」は出来が良くて、父が次期天皇にと推挙して崩ずるが、「お兄さん(後の仁徳天皇)がいるのに自分が天皇になるわけにもいかねえ」と天皇の位を兄に譲り、自分は宇治に離宮を建てて移り住んだ。(離宮社と称された所以 ともいわれる)。しかし、兄もまた、「天皇であった父親のきめた事を変えるわけにはいかない」と、弟に皇位をゆずろうとした。3年間の譲り合いにより、人民大いに惑い天下は乱れる。これを憂えた弟「莵道稚郎子(うじのわきいらつこ)」は自らの命を絶ってしまう。兄の仁徳天皇は莵道(うじ)の宮(邸宅)にて手厚く葬る。これが、宇治両宮のはじまりといわれる。

 

 

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