龍安寺(りょうあんじ)

世界遺産(古都京都の文化財)

臨済宗妙心寺派の禅苑の名刹

 1450年(宝徳2年)に室町幕府重鎮細川勝元が徳大寺家の別荘を譲り受けて、妙心寺の義天玄承を開山として禅寺とし、大雲山龍安寺と称して創建されました。その後 応仁の乱で焼失して、1488年(長享2年)勝元の子政元が再興しました 。枯山水の庭として著名な石庭(史跡・特別名勝)もその頃に作られたといわれています。1797年(寛政9年)に火災で方丈(ほうじょう)・仏殿・開山堂を焼失したため 、1606年(慶長11年)に造営された西源院の方丈を移築したのが現在の方丈(本堂)です。

 境内には、山門をくぐってすぐ左手に美しい鏡容池があり、藤原時代の貴族の別荘庭園の特徴を色濃く見ることができます。
 方丈前に広がる枯山水の石庭は、広さ約75坪(250平米)。庭の三方を油土塀で囲み、東西30メートル、南北10メートル余の長方形の白砂の庭に15個の石を5・2・3・2・3の5群の石組みに配置したもので、 「虎の子渡し」の名で知られています。自然を狭い空間に圧縮し、抽象化して表現する枯山水庭園の極限的な姿で、禅の思想を象徴的に表した庭として世界的にも名高いものです。
 方丈の裏の庭には、「つくばい」や秀吉の寄進によると云われる「侘助椿」があり、非公開の竜安寺垣をめぐらした茶室蔵六庵があります。

 

  龍  安  寺
 もと徳大寺家の別荘を、宝徳2年(1450年)に細川勝元が 譲りうけ禅寺に改めたが、戦災で焼失し、明応8年(1499年) 細川政元が再興した。
 美しい鏡容池は藤原時代の由緒をとどめ、方丈前庭の枯山水庭園は俗に虎の子渡しと称されて有名てある。
 禅では自己が「三昧」「無」になりきることによって自他一如 の世界を自覚し、その自覚を通して出てくるものは、山川草木 ことごとく神、仏であるとするが、この庭はそうした禅の極致を 表現した永遠に新しい庭といわれ、時間、空間を超えて、静かに心眼をひらき自問、自答するにふさわしい庭といえよう。
                入場券裏書より

 
     

住所 京都市右京区竜安寺御陵下町13

龍安寺 境内の写真と解説