大峯山寺

世界遺産 『紀伊山地の霊場と参詣道「吉野・大峯」』

大峯山寺 ・・・ 世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されている修験道の霊場

 はじめに、大峰山というのは吉野熊野国立公園(昭和11年2月1日)の中心をなす大峯山系の山々の総称のことで大峰山という山は ありません。標高千数百メートル級の山々が続く修験道の聖地で、北部を「吉野」、南部を「大峯」と呼び、普賢岳、行者還岳、弥仙、 近畿最高峰の八経ヶ岳などの中の一山、山上ヶ岳(1719.2m)の山頂に大峯山寺があります。吉野と熊野を結ぶ奥駆道(世界遺産)の 真ん中あたりの位置です。山上ケ岳は現在の呼び名で、昔は金峯山(きんぷせん)といい、古来より山岳信仰の山だったようです。 (写真 大峰山系の山々)
 

そこに今から1300余年前、のちに修験道の開祖となった役行者(えんのぎょうじゃ=役小角 えんのおづぬ)が修業をし、開かれた 霊場と伝えられています。その後、自然崇拝の山岳信仰が渡来した道教・陰陽道や仏教と習合して日本独自の山岳宗教=修験道として 発展していったようです。現在でも修験道の根本道場として山自体への女人禁制を守り続けている日本唯一の霊場です。
 大峯山寺本堂は江戸時代の元禄4年(1691)に再建、日本の中で高所最大の木造建築物、国の重要文化財に指定されています。 毎年5月2日に戸開式、9月22日に戸閉式が行われ、その間だけ参詣する事が出来ます。全国各地から来られている全ての 修行者や参詣者は、道ですれ違う人全員に『ようおまいり』と声を掛け合いながら歩きます。人出の多い日には、口が疲れてしまう のではと思うのですがそれも修行なのでしょう。

 大峯山寺のご本尊は金剛蔵王権現、それに役行者です。役行者は、金剛蔵王大権現を感得して金峯山の山上に 蔵王堂を建て、その後、奈良時代に仏教布教に尽力した行基(668〜749)が一般に参詣困難な金峯山山頂の蔵王堂に代わるものとして 建立したのが吉野の蔵王堂だそうです。

 大峯山寺の参道や境内には、有名な『西ノ覗』をはじめ修験道の表行場と裏行場があり、さながら 修験者のテーマパークのようになっています。修験者というのは、山岳などで修行を行ずることによって超自然的な験力(修験道の悟り) を獲得した者という意味だそうで、修験道教団の僧侶のようなものだと考えて下さい。未だ修行中の身ならば、山伏(修行者)という いいかたの方が適切だと思われます。ちなみに、修験道は、明治政府の神仏分離廃仏毀釈政策により禁止され、修験道教団はすべて 廃絶させられましたが、隠れキリシタンのように仏教や神道を隠れ蓑にしていた修験者が、敗戦後の新憲法による宗教の自由により 蘇えり、再び公に修行が出来るようになったようです。
 

交通

 

 

大阪阿倍野橋・京都・奈良・名古屋から近鉄電車
近鉄吉野線下市口下車 (近鉄時刻表)
下市口から 奈良交通バス洞川温泉行き終点(1時間18分)
 「洞川温泉」下車、/運賃1,280円 (奈良交通バス時刻表)
洞川温泉バス停より登山口(大峯山寺山門、女人結界門)まで徒歩約1時間
(洞川タクシーはなくなりました。)
ここから山頂まで3〜4時間

  それでは、山上ヶ岳と世界遺産・大峯山寺の写真と解説をゆっくりと見ていってください。

 

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