沖縄の世界遺産一覧

中城城跡 なかぐすくじょうし 「遺跡」  中頭郡北中城村・中城村
(国指定史跡) 戦禍を免れた築城当時の原型を残す数少ないグスクの一つ。十五世紀初頭までの築城とみられ琉球石灰岩の規則正しい石積みと、城を囲む石塁の曲線が美 しい。1850年代に来球したペリー艦隊がその美しさに感嘆し「ペリー遠征記」にそのことが書かれている。周囲は、約17.2`。城郭部分の面積約1万4000平方b。本土復帰の1972年5月、知念城跡など17ヵ所とともに国の指定史跡となる。
座喜味城跡 ざきみじょうし 「遺跡」 中頭郡読谷村
(国指定史跡) 1420年代に有力な按司(アジ)であった護佐丸によって築城された。城跡は座喜味集落北側の小高い丘(標高約120bの台地)に石灰岩の切り積みで取り囲んで築かれてい て、その城壁は独特の曲線をもつ。城は2つの郭からなる連郭式の形態。史跡面積は4万4193平方b。石積みの技法「あいかた積み」を知る上で貴重な遺跡。1956年に琉球政府の重要文化財に指定。72年には国の史跡に指定された。
勝連城跡 かつれんじょうし 「遺跡」 中頭郡勝連町
(国指定史跡) 1200年前後、崖の地形に築かれたとされ、十四世紀から十五世紀中ごろにかけ、城主(按司(アジ)茂知附(モチヅキ)と阿麻和利(アマワリ)の時期に全盛期をきわめた。阿麻和利は、貿易で力を付け1458年に中城城主(護佐丸)を滅ぼし、天下統一を夢見るが首里王府軍に攻められ落城し、廃城になったといわれている。
今帰仁城跡 なきじんじょうし 「遺跡」 国頭郡今帰仁村
(国指定史跡) 琉球王国統一以前の14世紀頃の築城といわれている、古生代石灰岩の岩山に築かれた。北山城 とも呼ばれ、起伏に富んだ地形に沿って1.5`に及ぶ長い城壁は美しい曲線を描き難攻不落の城と呼ばれた。今帰仁城は、首里から派遣される北山監守の居城となり、近世では琉球に侵攻した薩摩軍によって焼き打ちされるなどの運命をたどった。
首里城跡 しゅりじょう 「遺跡」 那覇市
(国指定史跡) 琉球王国の首都王宮、守禮の門他。標高120bー130bの琉球石灰岩の丘陵に築かれた琉球王国の居城。東西約400b、南北約270b、面積4万6000平方bの県内最大規模の城である。首里城は察度が造ったという説と、第一尚氏の尚巴志が築城したという説がある。沖縄戦で焼失した首里城は1992年に復元された。(1712年頃の城をモデルにした。)
園比屋武御嶽石門 そのひゃんうたきいしもん  「記念工作物」  那覇市
(国指定重要文化財) 首里城の石作りの門。国王が城外に出る前に、神人(カミンチュ)たちが道中の安泰を祈願するところといわれている。創建は1519年。竹富島出身の 名工・西塘(ニシトウ)が手掛けたといわれている。琉球石灰岩を用いた石門は、屋根の飾りなどに日本と中国の様式が合わさった沖縄独特の建築物になっている。
識名園 しきなえん 「遺跡・文化的景観」 那覇市
(国指定史跡) 琉球王一族の別荘庭園。冊封使(サッポウシ)など海外からの使者をもてなすため十八世紀ごろに造られた琉球王国最大の庭園。首里城の南にあることから南苑(ナンエン)とも呼ばれた。面積は、約2万3300平方b。日本の造園形式を主体に中国 様式の手法も取り入れた庭園で、池に配された石造りの橋や小島などがある。
玉陵 たまうどぅん 「記念工作物」 那覇市
(国指定重要文化財・国指定史跡) 琉球王一族の墓。建設は1501年とされている第二尚氏歴代の墓陵。破風(ハフ)墓が3つ連続した形式で東室は国王と王妃、西室には墓前の庭の碑に書かれている規定された人たちが葬られ、中室は洗骨までの遺体安置場になっている。 琉球独自の墓陵として、近世日本の重要な石造建築物。墓域は、約2千440平方b。沖縄戦の被害から1977年にかけて修復された。
斎場御嶽 せいふぁうたき 「遺跡・文化的景観」 島尻群知念村
(国指定史跡) 王国の宗教儀式が行われた神聖な場所。琉球王国最高の聖地として位置づけられている。アマミキヨが造った七つの御獄の一つとされ、海の彼方から来た神が幸せをもたらすというニライカナイ信仰を支えた。五穀豊穣の祈りは、現在でも続けられている。

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