世界遺産 補陀洛山寺

補陀洛渡海の寺

世界遺産 「紀伊山地の霊場と参詣道」登録資産「霊場 熊野三山(くまのさんざん)」の一つ。

補陀洛山寺 ふだらくさんじ
山号 白華山
宗派 天台宗
創建 伝・仁徳天皇の世(4世紀)
開基 伝・裸形上人
本尊 三貌十一面千手千眼観世音菩薩
(像高172cm、一木造、平安時代、重要文化財)

境内は史跡に指定されています。

所在地 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町大字浜の宮348
 
     
 仁徳天皇の御世に熊野の海岸に漂着した天竺(印度)の僧、裸形上人によって開山されたと伝わる古刹。
 補陀洛とは観音浄土を意味する古代サンスクリット語の音訳。

 「補陀洛山寺」は,江戸時代末期の台風による壊滅まで、那智権現(熊野那智神社、現在の「熊野那智大社」)山内の堂塔や社殿の修理のために勧進を行う本願所、那智の七本願の一つとして熊野三山の栄衰とともに隆盛を誇ります。
 「熊野那智大社」と一体となって発展してきた寺院で,神仏習合の形態をよく保っているということで、建造物ではなく、そこに伝わる文化・歴史の遺産として世界文化遺産に登録されました。
 現在の本堂は、高床式四方流宝形室町様式で1990年に再建されました。

 境内には入母屋造りの帆船で四方に発心門・修行門・菩提門・涅槃門の鳥居のある補陀洛渡海船(南紀州新聞社社主が平成5年に復元したもの)や補陀洛渡海記念碑があります。
 また、1531年(享禄4年)に渡海した足駄上人の渡海木礼、渡海上人位碑、渡海船の部材が現存しています。
     
 渡海船船上に造られた四方に鳥居が建つ屋形の中ににわずかな食料とともに渡海僧が乗り込み、出入り口には外から釘が打たれて固定され、他の船に曳航されて沖合い綱切島近くで綱を切られます。帆掛け舟の渡海船は南へ向かうわけですから北風が吹き出す旧暦の11月に行われたそうです。補陀洛渡海は、境内の補陀洛渡海記念碑によると868年から1722年まで25回おこなわれています。
 
【交通アクセス】
JR紀勢本線「那智」駅下車すぐ
JR紀勢本線「紀伊勝浦」よりバス、「JR那智駅」下車
     
世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』解説頁

 

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