醍醐寺

Daigoji (Kyoto Japan)
UNESCO as part of the World Heritage

世界遺産 古都京都の文化財
桜の名所100選

真言宗醍醐派総本山(修験道)

山号 醍醐山、深雪山(上醍醐寺)
本尊 薬師如来(重要文化財)
創建年 貞観16年(874年)
開基 理源大師聖宝

近畿三十六不動尊霊場第二十三番
西国三十三所観音霊場第十一番
西国薬師四十九霊場第三十九番
役行者霊跡札所
真言宗十八本山第十二番

 


上 入山券

 
 醍醐寺は貞観16年(874)、弘法大師空海の孫弟子の理源大師聖宝が笠取山に草庵をむすび准胝、如意輪の両観音像を安置したのに始まる。そのおり、地主神の横尾明神の化身である老人が現れ湧き出る泉の清水を飲み「醍醐、醍醐(美味い美味い)」と言ったとか。ここから、笠取山一帯を醍醐と呼ぶようになった。醍醐寺の名の由来といわれている。修験道中興の祖とされている理源大師聖宝のもと、上醍醐は修験者の霊場として発展していく。
 醍醐天皇の勅願寺としてその財力により、延喜7年(907)薬師堂、五大堂など多くの堂宇が建立され山上伽藍がかたち造られていく。醍醐寺の寺名は実際には醍醐天皇の名前からと考えるのが妥当でしょうか。
 山上の上醍醐につづき山麓の下醍醐の地に、延長4年(926)に釈迦堂、天暦5年(951)に五重塔が落成する。

 応仁・文明の乱や火災によりほとんどの堂宇は失われ、史跡に指定された境内に現存する伽藍諸堂は桃山時代以降のものだが、五重塔(国宝)のみ難を逃れ創建当時の姿を残している。京都に現存する最古の木造建造物。
 応仁・文明の乱の戦火で焼失した堂塔伽藍、豊臣秀吉が「醍醐の花見(慶長3年3月15日・1598年4月20日)」を行ない、これをきっかけとして再興された。
 醍醐三宝院の庭園は、醍醐の花見の時に太閤秀吉が自ら設計したもので、特別名勝、特別史跡に指定されている。

 醍醐寺は上醍醐と下醍醐の総称であり100余りの堂塔が散在する。上醍醐には西国11番札所の准てい堂、 国宝の薬師堂には本尊薬師如来と両脇侍像(国宝)開山堂、如意輪堂などがある。国宝や重要文化財を含む一山(上醍醐、下醍醐)の宝物は十数万点におよぶといわれ霊宝館に収蔵保存されている。(年に二回、秋春に公開)

 1994(平成6)年、「古都京都の文化財」として世界文化遺産に登録された。
 
 醍醐(だいご)とは乳製品の一種で元々は梵語で「サルピル・マンダ」という。
 仏教の大乗経典『大般涅槃経』(だいはつねはんきょう)の中に、乳製品を精製する過程で「乳→酪(らく)→生酥(しょうそ)→熟酥(じゅくそ)→醍醐」の五味の味があり最上の乳製品が醍醐とされた。ここから「最上の味」⇒「醍醐味」という言葉が生まれたという。今風に言えば「五つ星のチーズ」でしょうか。これを、経典にたとえ涅槃経 の教えも同じように仏の教えを発祥とする最後で最上の教えであると書かれている。これを五味相生の譬(ごみそうしょうのたとえ)、五味の譬え、あるいは醍醐の譬えという。

 

祭り
 毎年、2月23日には、醍醐寺最大の行事、「五大力尊仁王会」(五大力さん)が、仁王会式の大法要を中心として行われている。907年から行われているという伝統のある行事。
 この日に限って授与される御影(みえ=お札)は、災難除け、無病息災、一家安泰のお守りとして人気。有名な餅上げ(力比べ)は、男子150Kg、女子90Kgの五大力餅を持ち上げている時間を競う。

 毎年4月第2日曜日には、豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」にちなんだ「豊太閤花見行列」が華麗な桃山絵巻を繰り広げる。「花の醍醐」といわれる醍醐寺には、総門から仁王門までの「桜の馬場」を中心に 、染井吉野・山桜・枝垂れ桜など800本がある。

 

醍醐寺へのアクセス 京都市伏見区醍醐伽藍町
(市営地下鉄東西線「醍醐駅」下車徒歩20分
「醍醐駅」より京阪バスで「醍醐寺前」まで行くことが出来る。
(上醍醐寺へは下車後徒歩約60分

地図


 

醍醐寺

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金堂
五重の塔
五重の塔
醍醐三宝院
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